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自分の人生の解釈は自分にしかできない

人生の悩みに関して、どれだけの情報を手にしても解決に至らない理由。

それは、私たちが単にその情報の良い結果のみを鵜呑みにし、執着しているからではないでしょうか。

発信者の正解が溢れる世界

確かに、世の中にはマニュアル通りに上手く事を運べるものもありますが、人生の悩みは人それぞれであり、アプローチ方法も異なります。

世の中に溢れている情報は『発信者にとっての正解』だということを理解しておく必要があるのでしょう。

たとえばこのブログの『占星術で自己探求をすれば、自分らしい人生の創造が可能である』というのも『このホロスコープの解釈はこうである』というのも、私にとっての正解を発しているまでです。

人生を創造しながら自分なりの真理を探求してもいい
スピリチュアルな分野に興味を持つと、よく見聞きする言葉があります。それが『真理』です。たとえば、引き寄せの法則では『宇宙の真理』について語られていますが、私にはそれが正当であるのかは理解できません。そうであるように思えたり、思えなかったりするのは、私だけではないでしょう。

執着の手放しと自分なりのアプローチ

もし、問題解決を目的として情報を集めているならば、得られる結果に執着しないことだと私は考えます。

矛盾しているようですが、発信者の性質や置かれた背景などの条件は、自分のそれとは違いますから、情報通りの良い結果を得られないのも仕方ないのです。

そこに執着してしまうと、悩みを余計に増やすことになるでしょう。

ですから、得られる結果に執着することなく情報を解釈し直す作業と、自分なりのアプローチが必要なのだと思います。

そもそも、情報は取り込んだ時点で既に自分の解釈に置き換えられています。自分というフィルターを通した世界に存在する悩みは、自分なりのアプローチで解決するほかありません。

『あの情報はウソだった!』という責任転嫁が起こる背景には、自分で考えることを放棄することにあります。

専門的・哲学的な内容をどう捉えるか
人生の悩みを解消しようとすると、最終的に哲学(専門)的な情報にたどりつきますが、すべてはそれで解決するのでしょうか。各専門分野も哲学もひとつの価値観であり、正解ではないでしょう。そう捉えることで、私たちは価値観を選択することが可能になります。

自分の人生の解釈

人は、自分の解釈によって人生を創造しています。たとえ他者からどう解釈されようとも、それは揺るぎません。

人から羨まれていても、自分がそう感じられなければ意味がないのです。

にも関わらず、人生に対する意図を他者に委ね(周囲の価値観に流される)、言われたままに行動し『何だかおかしい。こんなハズではなかった!』という悩みを生み出しています。

ですが、

人生を創造するのも人生の解釈を変えるのも自分自身なのです。

 

 

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