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専門的・哲学的な難しい内容をどうとらえるか

自分の人生について探求していると、専門的・哲学的な情報にたどりつきますが、私はそれらを理解するのが難しいと感じます。

例えば『非二元論』や『思考や感情は自分ではない』など、頭で考えようとするほど混乱していました。

性質上、私は物事を直感的・単純に白黒思考でとらえがち。

おまけに『理解したい!』と『でもなぜ?』が同時に発動するため、情報を素直に受け入れられないことがほとんどなのです。

ですが、それらの情報を突き詰めなければ、私が求める自分らしい人生創造ができないのでしょうか。

決して、そうではないはずです。

それこそ『思考は自分のものではない』という言葉が示す通り『専門的・哲学的な内容を理解しなければ…』という思考は、私自身のものではありません。

私の外側にある価値観(情報)がそう思わせているのです。

実際にそう気付けば、必要のない価値観は手放せるようになります。

そして、よく見聞きする『エゴ』とは、そうした価値観の刷り込みによるものだと考えることができます。

だとすれば『エゴ(思考)を手放さなければ』というのも『思考を手放して感覚で生きなければ』というのも、実はエゴなのではないでしょうか。

情報のみならず、ちょっとした日々のコミュニケーションでも、私たちはお互いに、自分の価値観というエゴ(思考)を発しています(もちろん、このブログも)。

もしかしたら、専門的・哲学的になりすぎることも、思考に偏ることになるのかもしれません。

だからこそ、思考と感覚のバランスは必要なのだと思います。

こうした専門的・哲学的な情報は、実体験から学ぶしかないと私は考えています。

『理解しなければ』と思っているうちは、サッパリわかりません。後になって『そうだったのか!』という自分なりの答えにたどりつくものです。

では、なぜ理解を急ごうとするのか。

それは、理解できない自分を否定しているからかもしれません。

ですが、理解度も理解するタイミングも、人それぞれなのです。

もし、難しい内容を理解できない自分を否定しそうになったら『今、その答えは自分に必要ない』ととらえてしまった方が、楽に生きられるのかもしれません。

 

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