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専門的・哲学的な内容をどう捉えるか

人生の悩みを解消しようとすると、最終的に哲学(専門)的な情報にたどりつきますが、すべてはそれで解決するのでしょうか。

各専門分野も哲学もひとつの価値観に過ぎない?

スピリチュアルな分野に興味がある人なら『私は無い(非二元論)』『思考や感情は自分のものではない』『エゴは手放さなければならない』などについて、見聞きしたことがあるでしょう。

たとえば『エゴ』という言葉ひとつ取っても、実は『心理学』『哲学』『宗教/精神性』の分野によって微妙に解釈が違います。

ですが、ひとまとめに『エゴ』と表現されてしまうことで、『エゴ=ネガティブ』だと誤解している人もいるのではないでしょうか。

ちょっとした日々のコミュニケーションでも、私たちはお互いに自我(エゴ・主語/私)を発していますが、それは、自意識や自己防衛のためのエゴは必要だからです。

こうして『エゴは悪か否か』について考え始めると、延々と言葉の解釈を続けるだけでキリがありませんよね(笑)。

各専門分野も哲学もひとつの価値観であり、正解ではないでしょう。

そう捉えることで、私たちは価値観を選択することが可能になります。

なぜ理解が難しいと感じるのか

私は正直、各専門分野や哲学について理解しようとするほど混乱していました。

もちろん知識が及ばないこともありますが(笑)、感覚的に、それが自分にとっての正解ではないと感じていたからです。

論理的であることが学問(各専門分野や哲学)の良さですが、デメリットもあります。それは、感覚や感情を否定しかねないことです

悩みの解消のためにどれだけ学ぼうとしても、それを論理的にバッサリと切り捨ててしまうことで、感覚や感情がないがしろにされてしまいます。

論理的に悩みを解消できないのは、感覚や感情が不調のままだからかもしれません。

ですから、『哲学=思考』『受け止めて感じること』のバランスは重要なのです。

理解を急がなくていい

個人的に、『理解しなければ』と思っているうちは、サッパリわからないものだと思います。後になって『そうだったのか!』と理解し、自分なりの答えにたどりつくものです。

理解を急ごうとして混乱するのは、悩みを早急に解決したいからだけではなく、理解できない自分を否定しているからかもしれません。

ですが、理解度も理解するタイミングも、人それぞれです。

もし、理解できない自分を否定しそうになったら『今、その答えは自分に必要ない』ととらえてしまった方が、楽に生きられるのかもしれません。

 

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