現実的なアプローチに限界を感じた時、占いやスピリチュアルな分野に興味を持つことがあると思います。
それ自体に問題はないのですが、悩みや願望が根っこにある以上、救いを求めて依存してしまうこともあります。
私も占星術を学び始めたことがキッカケで、引き寄せの法則やタロット・オラクルカードにも興味を持ちました。
ですが、こうしたものに関連した情報は、エンターテイメント(以下エンタメとします)として発信されているものが数多くあり、まるで見たいテレビ番組を選んでいるかのようでした。
たとえばカードリーディングの占い動画は、大抵は3つほどある中から自分で選択するタイプですが、この『選択する』という行為が『おみくじ』に似ているわけです。
はじめのうちは『たまたま選んだ』とシンクロニシティを感じて、ありがたくメッセージを受け取るのですが、次第に動画チャンネルを渡り歩き、自分が受け取りたいメッセージだけをコントロールして選択するという荒業を発揮するようになりました(笑)。
ここまでどっぷりハマってしまうと、もはやシンクロニシティでも何でもない気もしますが、たとえ『シンクロ探し』であろうとも、これまで意識を向けていなかったものへ意識を向けることができる方法のひとつとも言えるのです。
こうして依存的になってしまうのが『スピリチュアルあるある』で、非現実的なものに偏りすぎて、どうしてもスピリチュアルな価値観が表面化してしまいます。
ですから、ガチガチの現実主義の人々から『スピッてる』『ヤバイ』『あやしい』と揶揄されるのも、仕方がないのかもしれません(同じ立場になるまで理解できないものですし)。
とはいえ、そんな人々でもお寺や神社に足を運び、おみくじを引いたりお守りを購入することもあるのですから、スピリチュアルなものとの距離感(関わり方)が両者を大きく分けるのでははいでしょうか。
『スピリチュアル』という言葉は、近年の日本では『癒やし』ととらえることが多いですが、いつまでも癒やされていたい願望が、思考と行動を押さえ込んでいるようにも思えます。
これは私の実体験なのですが、本当に心身がボロボロな時は、受け身でいるしかありませんでした。
『優しい言葉、夢、希望、共感』これらを取り込むことでしか、自分を癒やすすべがなかったのです。
これは、占いやスピリチュアルなものに限らず、自分が癒やしを求めて現実逃避の対象とするもの(アニメ、映画、音楽、ペット、お酒など自分の好きなもの)も当てはまります。
癒やしの時は終えたはずなのに、いつまでもその余韻にひたっていたい…。それがやがて、次の一歩を踏み出すことを拒み始めます。自分自身の力を、信じられないのです。
すると、シンクロ的に都合良く『左脳(思考)ではなく右脳(直感)を使え!』というメッセージを拾い、『今は行動すべきじゃないって直感が言ってる気がする!』となるわけです。
進まない理由をスピリチュアルに求めるのは、よくあることです。本当はどうすべきなのか、わかっているのはずなに(笑)。
占いやスピリチュアルな価値観は、癒やしを与え、背中を押してくれることもありますが、自分の代わりに正解を与えてくれたり、何もしないまま願望を実現させてくれるものではありません(それなら肉体は必要なくなります)。
スピリチュアル界隈でよく見聞きする『全ては宇宙にお任せ』というのも、インスピレーションをキャッチするまで『〇〇ねばならない』という思考での行動は必要ないということなのだと思います。
天のお告げであれ何であれ、そこから自分の感覚を信じて前に進むことが重要なのです。
自分の内側に意識を向け、精神性を高めて直感を活かす学びとしてのスピリチュアルと、エンタメやサービスとしてのスピリチュアル。
この違いがわかれば、関わり方のコツがつかめるはずです。
現実的な考え方とスピリチュアルな価値観の調和は、この世界で生きるうえで大切なのだと思います。
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