自分の生まれ持った容姿、身体能力、体質について、誰もが劣等感を抱くことがあるのではないでしょうか。
そのきっかけは、子供時代に受け取った何気ないひと言かもしれませんし、テレビに映る誰かへの憧れによるものかもしれません。
私が抱えていた悩み
私の場合は、黒くて広がりやすい癖のある髪、世間的には意地が悪いイメージを持たれる狐のようにつりあがった目、出っ張った頬骨、アトピー体質であることを、受け入れることができませんでした。
それに、運動神経が良いわけでも、体力があるわけでもありません。
私は、自分の資質を魅力に変えるための方法を、全く知りませんでした。
だからこそ、否定するしかなかったのです。
ささやかな抵抗
思春期の真盛り、私は資質に対するささやかな抵抗を始めました。
学生ながらに髪色を明るくしようと、雑誌を参考に、カラートリートメントや脱色スプレーを使用し、手を加えたのです。
(とは言っても、光に当てて気付く程度ですが。)
そのせいで、少しヤンチャな同級生に目をつけられたのですが、そういった生徒ほど校則に詳しいとは、よく言ったものです(笑)。
もちろん校則では認められませんし、その時は、渋々使用を止めざるを得ませんでした。
ですが、社会人になってからは、学生時代の窮屈さから解放されたこともあり、カラーリングやパーマ、縮毛矯正を繰り返していました。
『おしゃれは命がけ』なんて言葉を耳にしたことがありますが、人よりも肌が弱い私が、自分のこだわりを突き通すには、多少のリスクを受け入れるしかありませんでした。
身体からの逆襲
髪色や形状を変えたいから、刺激の強い薬品を使う。
肌をきれいに見せたいから、あれこれと化粧品を塗りたくる…。
年齢を重ねるごとに、そうしたものが与える身体への負担が、大きくなっていきました。
そして40歳を迎える頃、私の肌の状態は、一気に悪化したのです。
それはまるで、自分が生まれ持ったものを否定し続けた罰だと言わんばかりに、数年間続きました。
自分の資質と向き合う
私は一体、どうするべきだったのでしょうか。
それに気付くために、私にはネガティブな体験が必要だったのかもしれません。
私は、本来の資質を受け入れながら、自分の心身が心地良い方法を見つけることが必要だったのだと思います。
周囲の価値観がどうであれ、心地良いかどうかは、自分がいちばん体感できているはずです。
私には、アトピーという生まれ持った資質があるのですから、そこを無視してはいけなかったのでしょう。
現在、髪に関しては、刺激のある薬品を使用することがなくなりました。
毛量はヘアアレンジするのにちょうど良く、必要な時だけストレートアイロンを使用することにしました。
化粧品についても、広告におどらされることがなくなり、狐のようにつりあがっていた目も、年齢を重ねた肌のおかげで、穏やかに見えるようになりました(笑)。
このように、自分のとらえ方次第で、資質に対する悩みが、悩みではなくなります。
私たちは、あまりにも他者からの視線や価値観を気にしすぎているのです。
他者がどう思うかを意識する必要がないこと、否定からはあまり良い結果が生まれないことに、私は今の歳になってようやく気付いたのでした。
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