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星影の自己分析

エッセイ*占星術とわたし

星と使命と生まれた意味

自分がこの世に生まれた意味や使命について考える理由は、人間の本質的な欲求、社会的・心理的な要因、哲学的な探求など、多岐にわたります。「何かを成し遂げられる自分でありたい」「自分の存在を肯定したい(してほしい)」「特別な役割があるはずだ」そんな願いからバースチャートを探求していた私ですが、実は自己肯定感や自己信頼感の低さがそう思わせていたのだと気付きました。
エッセイ*占星術とわたし

占星術の罠と光

占星術の基礎的な概念を理解して、応用的な情報も取り入れて、いろんな解釈を読み漁っても満足できない感覚。私は自分の学びが浅いために、答えにたどりつけないと思い込んで、それを解消するために必死になっていました。でも、それは間違いだと気付きました。
エッセイ*占星術とわたし

ホロスコープの向こう側

個人的には「自己探求のすゝめ」の方に力を入れているのですが、思いのほか占星術に関する記事のアクセス数が多くて、驚きと戸惑いを隠せません(笑)。というのも、私は占星術とお別れしたからです。
エッセイ*占星術とわたし

占星術とわたし:さようなら、占星術

宇宙も人も、その存在は不思議であり、神秘的です。だからこそ人は、宇宙との結びつきを証明し、影響を受けているという壮大なストーリーを描きたくなるのかもしれません。でも、宇宙も人も、ただそこにあるだけ。意味を欲しがってしまうのは、私たちが物質世界に存在するからだと思います。
エッセイ*占星術とわたし

占星術とわたし:カイロンと心の傷の記憶

占星術の探求で、私が小惑星にまで意識を向けることは、ほとんどありません。しかし、ただ一つ、どうしてもその意味を知りたいと願った星がありました。それは、私のバースチャートの太陽と重なり合うように存在する「カイロン(キロン)」です。
エッセイ*占星術とわたし

占星術とわたし:ラスボス冥王星を味方につける

占星術での探求を始めた時、ひときわ畏怖の念を抱かせたのは、冥王星の存在でした。なぜなら、同じく探求をしている人々が、口々にその恐ろしさを語るからです(笑)。私は暗示にかかり、その強大な力の前に立てば、いとも容易く「一捻り」されてしまうような、ラスボスとしての圧倒的な威圧感があるのだと恐れるようになりました。
エッセイ*占星術とわたし

占星術とわたし:海王星が見せる夢と理想

この世界には、手で触れられる形としての創造性と、目には見えないけれど確かに存在する想像性という二つの創造性が共存しています。私たちが心惹かれる夢や理想という名の幻影は、誰かが紡ぎ出す魅力的な世界観(想像性)に触れ、共鳴することで、初めてその輪郭を帯び始めるのかもしれません。
エッセイ*占星術とわたし

占星術とわたし:冥王星水瓶座時代の幕開け

変容を司る冥王星が水瓶座へと移り、これから約20年もの間、私たちを取り巻く世界に、そして私たちの内面に、変革の波をもたらすと言われています。この大きな時代の転換期に過去を振り返り、現在の空に輝く冥王星が、私のバースチャートのどの領域に足を踏み入れるのかを探求し、そこから未来への兆しを読み解いてみたいと思います。
エッセイ*占星術とわたし

占星術とわたし:天王星が指し示す「自分革命」のヒント

まるで季節の巡りのように、私の人生には、古い価値観という名の葉を落とし、より深く豊かな学びという名の養分を求めるタイミングが定期的に訪れているように感じます。…というか、根源的な部分を理解できていなかったからこそ、同じ場所で足踏みをするように問題を繰り返していたのですが(笑)。
エッセイ*占星術とわたし

占星術とわたし:土星が見据える「人生の長期計画」

人生に繰り返し現れる課題。私の場合は、常に「人間関係」という難題が、様々な形で目の前に現れてきました。しかし、ふとした瞬間に、こうした課題こそが、壮大な「人生の長期計画の一部」なのではないかと考えるようになったのです。
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