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【noteの裏面②】自己受容から始まる自分らしい人生創造

心理学やスピリチュアルな分野に興味がある人なら、『自己受容』『自己肯定感』という言葉をよく知っていると思います。

メンタル的な悩みを開示しやすい今の社会では、これらは一般的にも使われやすくなった言葉です。

今回は、そんな『自己受容』について考えてみます。

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自己受容と『周囲の価値観』

『受容』とは、受け入れる・取り入れると言う意味です。つまり、『自己受容』とは読んで字のごとく『自分自身を受け入れること』です。

前回は、私の思う『自分らしさの定義』についてお伝えしました。そして、それを受容することが、自分らしく生きるための土台作りには重要だと考えています。

とはいえ、私たちは、生まれた時から周囲の価値観を軸に生きているので、100%純粋な自分であるとは言えないかもしれませんね。

あれもこれもと、いろんな『価値観のサンプル』を取り込んでは、喜んだり悲しんでみたりと、まるで人生という舞台上で演じているよう。

むしろ、そうした反応そのものが、受け入れるべき自分の性質だと言えるのかもしれません。

そんな背景や状況もわからず、『生きづらい自分』を抱え込んでいるんですから、そりゃあ、しんどくもなります(笑)。もっと早く知っていればと思うのは、私だけではないでしょう。

他にも、SNSの投稿やYoutubeチャンネルで、ネガティブな煽り文句を使って、興味を引き付けるような情報って見かけませんか?

私は、ついつい興味本位で見てしまうタイプなんですが、ネガティブな内容って記憶に残りやすいんですよね(笑)。なので、はじめから見ないようにするのも大切だと感じています。

その好奇心は、質の良いものに向けた方がいいのは、言うまでもありません。

兎にも角にも、長所や短所、いろんな感情や思考の葛藤をまるごと受け入れ、自分と他者の価値観を区別する。

私たちには、この練習が必要なのかもしれません。

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自己受容と『完璧主義』

完璧主義は、自己受容の妨げになることがあります。

「ちゃんとしなくちゃいけない」「こんなんじゃだめだ」とやっているうちに、終わりのない謎のループに陥ることってありませんか?

確かに、自分らしさの要素としての『細部までこだわる』という完璧さは、ものづくりや、物事の管理などに活かすことはできますが、自分自身をメンタル的に追い込み過ぎるのは考えものです。

というのも、私自身も、真面目過ぎるゆえの、完璧主義だからです(笑)。

小学生時代に学級委員を任されて、『責任感とは何たるか』を教え込まれたり、授業中に説教される生徒を目の当たりにしたり…。褒められることが、自分の存在価値に関わると思い込んでしまったんでしょうね。

他者から見た『キャラクター』で、責任の伴う役割を頼まれることが日常茶飯事。そんな人は、多いかもしれません。

では、完璧主義を克服するためにはどうすればいいのか。

それは、物事の優先順位をつけたり、「ここまでできれば良しとする」と決めておくこと。そして、完璧主義を、多少ゆるめたくらいがちょうどいいかもしれません。

だって、考えてみてください。完璧にできるなら、『完璧なコントロールも可能』だと思いませんか?

【noteの裏面①】自分らしさの定義は人それぞれ
私は、noteで『自分らしい人生創造を楽しむための自己探求のすゝめ』という記事を投稿していますが、皆さんは『自分らしさ』って、どんなものだと思いますか?あらためて言語化しようとすると、考え込んでしまうかもしれませんね。
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自己受容と『他者との比較』

SNSの発達で、他者との比較が容易になったことも、自己受容を難しくする原因かもしれません。

「なんでこの人みたいに上手くできないんだろう」「あの人はとても素敵だな」「私なんて…」と、脳内で自己否定を繰り返してしまうことってありますよね。

自分のコンプレックスを刺激されたり、理想と現実のギャップを思い知らされたり、嫉妬してしまったり…。

だからこそ、この状況下で、自己受容をどのように実践していくかは大事だと思うんですよね。

そもそも、相手と比較してしまうのは、自分に過度な期待をかけているのかもしれませんし、「今ここ」の自分が、満たされていないからかもしれません。

一番はSNSを見ないことですが、自分で受け取る情報を選ぶこともできるはず。これらと距離を置いて意識を逸らすことも大切です。

心を満たすには、自分にとっての『心地よさ』『喜び』を理解しておくといいと思います。そこから生まれる創造性を楽しむうちに、自分を受け入れることができるかもしれません。

要は、自分に集中することです。

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『受け入れる』とは『正しい』という解釈ではない

『自己受容』は、『自分を受け入れること』であって、『自分を正しいと判断すること』ではないはずですが、どうしてもそう解釈してしまうことってあると思います。

『ありのままの自分を受け入れるのよ』と、曖昧さを残したままの情報を受け取ると、どうしても自分なりに偏った解釈をしてしまうのが、人間なのかもしれません。

でも、これをハッキリさせないがために、他者とのネガティブな出来事を自分都合で判断して、『私の言動は正しかった(…と受け入れる)』になってしまうんですよね。

『相手と喧嘩してしまった自分』を『喧嘩しちゃった私なんてダメ!』ではなく『喧嘩しちゃった私…でもいい。』と受け入れるだけなんですよね、シンプルに。

そこに『喧嘩のジャッジ』は存在しないはずなんです。

『喧嘩をしちゃった私でもいい』が『喧嘩してもいっか(そんな時もあるよね)』になると、『喧嘩しちゃダメ!』という他者への禁止にはならない。

例えば、兄弟げんかする我が子に、単なる禁止だけを与えるからこそ、感情の吐き出しができなくなることもあるんじゃないでしょうか。

大切なのは、その感情を受け入れてあげること。それが『受容』なんだろうなと、私は思います。

あくまで、自己探求するうえでの『受容』についてなので、法に触れるようなことに関しては、もちろん別問題です。

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自己肯定感のとらえかた

『自己肯定感』とは『自分の価値や能力を肯定する感覚』ですが、表現が曖昧でわかりにくいかもしれません。

『感覚』は人それぞれですし、思考で『肯定しよう』とらえるのとは違うからです。

思い込みの肯定感ではなく、『リアルな実感』。そう捉えると、認める』『信じる』『周囲の評価に動じない』など、前向き(ポジティブ)な感覚を自分の中に感じられることが重要だとわかります。

上手くいかないことがあって『クヨクヨ』『モヤモヤ』『イライラ』してしまう自分を受け入れ、結果ではなく、そのプロセスを認めることが、自己肯定感につながるのかもしれませんね。

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自己受容と自己肯定のための自己理解

『自己受容ができない・自己肯定感が低い』これらは他者との比較から生じます。

自己理解を深め、自己受容ができるようになれば、少しずつでも自己肯定感を上げることはできるでしょう。

周囲からの客観的な判断は別として、本来の自分の資質による感情や行動、反応そものを受け入れることから、自分らしい人生創造が始まります。

周囲の価値観を優先するか、自分の価値観を反映しながらカスタマイズするかは、それぞれの自由。ただし、その選択を前向きに受け入れられるかどうかを判断するのも、自分自身なんですよね。

自己受容ができるようになれば、これまでとは世界の見え方が変わるかもしれませんし、精神的な解放感を得られるかもしれません。

 

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ジャーナリングのネタに:自己受容について考える

  • あなたは、自分のことをどれくらい受け入れていますか?
  • 「自分らしさ」とは、あなたにとってどのようなものですか?
  • 自己肯定感を高めるために、どのようなことをしていますか?
  • 他者との比較をやめるために、どのような工夫をしていますか?

 

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