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【noteの裏面②】自己受容から始まる自分らしい人生創造

心理学やスピリチュアルな分野に興味がある人なら、『自己受容』『自己肯定感』という言葉をよく知っていると思います。

メンタル的な悩みを開示しやすい今の社会では、これらは一般的にも使われやすくなった言葉です。

今回は、そんな『自己受容』について考えてみます。

自己受容と『周囲の価値観』

『受容』とは、受け入れる・取り入れると言う意味です。つまり、『自己受容』とは読んで字のごとく『自分自身を受け入れること』です。

前回は、私の思う『自分らしさの定義』についてお伝えしました。そして、それを受容することが、自分らしく生きるための土台作りには重要だと考えています。

とはいえ、私たちは、生まれた時から周囲の価値観を軸に生きているので、100%純粋な自分であるとは言えないかもしれません。

あれもこれもと、いろんな『価値観のサンプル』を取り込んでは、喜んだり悲しんでみたりと、まるで人生という舞台上で演じているよう。

むしろ、そうした反応そのものが、受け入れるべき自分の性質だと言えるのかもしれませんね。

そんな背景や状況もわからず、『生きづらい自分』を抱え込んでいるんですから、そりゃあ、しんどくもなりますよ(笑)。もっと早く知っていればと思うのは、私だけじゃないと思います。

他にも、「こんな奴とは関わるな!」「こんなファッションはダサい!」「性格診断の○○タイプは性格が悪い」なんて、ネガティブな煽り文句で興味を引き付けるような情報って見かけませんか?

私は、ついつい興味本位で見ちゃうんですよね。実際にそれが当てはまっていることもあって、ショックを受けたり。これに関しては、もう見ないことだと思っています(笑)。

兎にも角にも、長所や短所、いろんな感情や思考の葛藤をまるごと受け入れ、自分と他者の価値観を区別する。

私たちには、この練習が必要なのかもしれません。

自己受容と『完璧主義』

完璧主義は、自己受容の妨げになることがあります。

「ちゃんとしなくちゃいけない」「こんなんじゃだめだ」とやっているうちに、終わりのない謎のループに陥ることってありませんか?

確かに、自分らしさの要素としての『細部までこだわる』という完璧さは、ものづくりや、物事の管理などに活かすことはできますが、自分自身をメンタル的に追い込み過ぎるのは考えものです。

というのも、私自身も、真面目過ぎるゆえの、完璧主義だからです(笑)。

小学生時代に学級委員を任されて、『責任感とは何たるか』を教え込まれたり、授業中に説教される生徒を目の当たりにしたり…。褒められることが、自分の存在価値に関わると思い込んでしまったんでしょうね。

他者から見た『キャラクター』で、責任の伴う役割を頼まれることが日常茶飯事。そんな人は、多いかもしれません。

では、完璧主義を克服するためにはどうすればいいのか。

それは、物事の優先順位をつけたり、「ここまでできれば良しとする」と決めておくこと。そして、完璧主義を、多少ゆるめたくらいがちょうどいいかもしれません。

だって、考えてみてください。完璧にできるなら、『完璧なコントロールも可能』だと思いませんか?

【noteの裏面①】自分らしさの定義は人それぞれ
私は、noteで『自分らしい人生創造を楽しむための自己探求のすゝめ』という記事を投稿していますが、皆さんは『自分らしさ』って、どんなものだと思いますか?あらためて言語化しようとすると、考え込んでしまうかもしれませんね。

自己受容と『他者との比較』

SNSの発達で、他者との比較が容易になったことも、自己受容を難しくする原因かもしれません。

「なんでこの人みたいに上手くできないんだろう」「あの人はとても素敵だな」「私なんて…」と、脳内で自己否定を繰り返してしまうことってありますよね。

自分のコンプレックスを刺激されたり、理想と現実のギャップを思い知らされたり、嫉妬してしまったり…。

だからこそ、この状況下で、自己受容をどのように実践していくかは大事だと思うんですよね。

そもそも、相手と比較してしまうのは、自分に過度な期待をかけているのかもしれませんし、「今ここ」の自分が、満たされていないからかもしれません。

一番はSNSを見ないことですが、自分で受け取る情報を選ぶこともできるはず。これらと距離を置いて意識を逸らすことも大切です。

心を満たすには、自分にとっての『心地よさ』『喜び』を理解しておくといいと思います。そこから生まれる創造性を楽しむうちに、自分を受け入れることができるかもしれません。

要は、自分に集中することです。

『受け入れる』とは『正しい』という解釈ではない

『自己受容』は、『自分を受け入れること』であって、『自分を正しいと判断すること』ではないはずですが、どうしてもそう解釈してしまうことってあると思います。

『ありのままの自分を受け入れるのよ』と、曖昧さを残したままの情報を受け取ると、どうしても自分なりに偏った解釈をしてしまうのが、人間なのかもしれません。

でも、これをハッキリさせないがために、他者とのネガティブな出来事を自分都合で判断して、『私の言動は正しかった(…と受け入れる)』になってしまうんですよね。

『相手と喧嘩してしまった自分』を『喧嘩しちゃった私なんてダメ!』ではなく『喧嘩しちゃった私…でもいい。』と受け入れるだけなんですよね、シンプルに。

そこに『喧嘩のジャッジ』は存在しないはずなんです。

『喧嘩をしちゃった私でもいい』が『喧嘩してもいっか(そんな時もあるよね)』になると、『喧嘩しちゃダメ!』という他者への禁止にはならない。

例えば、兄弟げんかする我が子に、単なる禁止だけを与えるからこそ、感情の吐き出しができなくなることもあるんじゃないでしょうか。

大切なのは、その感情を受け入れてあげること。それが『受容』なんだろうなと、私は思います。

あくまで、自己探求するうえでの『受容』についてなので、法に触れるようなことに関しては、もちろん別問題です。

自己肯定感のとらえかた

『自己肯定感』とは『自分の価値や能力を肯定する感覚』ですが、表現が曖昧でわかりにくいかもしれません。

『感覚』は人それぞれですし、思考で『肯定しよう』とらえるのとは違うからです。

思い込みの肯定感ではなく、『リアルな実感』。そう捉えると、認める』『信じる』『周囲の評価に動じない』など、前向き(ポジティブ)な感覚を自分の中に感じられることが重要だとわかります。

上手くいかないことがあって『クヨクヨ』『モヤモヤ』『イライラ』してしまう自分を受け入れ、結果ではなく、そのプロセスを認めることが、自己肯定感につながるのかもしれませんね。

自己受容と自己肯定のための自己理解

『自己受容ができない・自己肯定感が低い』これらは他者との比較から生じます。

自己理解を深め、自己受容ができるようになれば、少しずつでも自己肯定感を上げることはできるでしょう。

周囲からの客観的な判断は別として、本来の自分の資質による感情や行動、反応そものを受け入れることから、自分らしい人生創造が始まります。

周囲の価値観を優先するか、自分の価値観を反映しながらカスタマイズするかは、それぞれの自由。ただし、その選択を前向きに受け入れられるかどうかを判断するのも、自分自身なんですよね。

自己受容ができるようになれば、これまでとは世界の見え方が変わるかもしれませんし、精神的な解放感を得られるかもしれません。

 

ジャーナリングのネタに:自己受容について考える

  • あなたは、自分のことをどれくらい受け入れていますか?
  • 「自分らしさ」とは、あなたにとってどのようなものですか?
  • 自己肯定感を高めるために、どのようなことをしていますか?
  • 他者との比較をやめるために、どのような工夫をしていますか?

 

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