Mio.mです。
物事が上手くいかず、自分に価値を感じられないとき、 ”なぜこの世に生まれてきたのか” と考え込んでしまうことはありませんか?
これまでも自分探しや使命探しについて書きましたが、全ては自分自身の中に答えがあるのだと思います。
私が自分の在り方を考えるようになり、自己探求をする中で知ったことがあります。
それは、スピリチュアルな視点では、私たち一人ひとりが生まれる前に決めた役目を果たすべく、地球へやって来ているということです。
ただ、全ての人がその価値観を受け入れられるわけではありません。
理由なんてなくても、生きられる人は、もちろんいらっしゃるでしょう。
私の場合、人は生まれながらに役目(意味)を持ち、それに沿った生き方をしなければ不幸になるのだと感じるようになりました。
20代の頃は、占いにその答えを求めていましたが、上手くいくどころか、余計に迷子になってしまいました。
私たちは、周囲と比較することに意識が向かいやすいですよね。
子供時代に、お互いの違いを個性だと理解できる環境(社会)ではなかったことが、ひとつの要因だと思います。
自分より相手の方が優れていると感じてしまうのは、自分自身の個性を自覚して受け入れていないからではないでしょうか。
『個性』=『誰かよりも秀でた才能』
と認識せざるを得なかった私たちは、一般的に良いとされる面ばかりに光をあて、そうではない面を否定するようになりました。
”何でも持っている誰かと、何も持っていない自分”
という構図を、イメージで作り上げていることもあるでしょう。
だからこそ、誰かに認めてもらうために、自分の存在価値を見出そうと必死になるのかもしれません。
使命や生きる意味を探し求めてしまうのは、そんな側面があるからだと思います。
生きる意味を考えてしまうのは、自分に価値を感じられないような、過去の嫌な記憶と紐づけられた感情が残っているからかもしれません。
その感情を、自分でどう受け止めるのかが重要なのだと思います。
傷ついた心をそのままにしてしまうからこそ、生きる意味を見出せなくなることもあるのではないでしょうか。
私の場合、どんな自分でもいいのだと割り切ったとき、自分の生きる意味探しをやめることができました。
それに、意味なんて理解していなくても、自分の内側だけはしっかりと何かを感じて生きようとしているものです。
その瞬間『○○をする』と決めれば、それが生きる理由になります。
今以上の人間であらねばならないという幻想を手放して、生きる意味を自分で持たせればいいのだと思います。
自己の在り方という軸を一本持ったうえで、どう生きていくのか。
そのために必要な ”譲れないもの” は、自分が一番理解できているはずです。
それさえ守り切れば、自分を見失うことはありません。
一時は占いに答えを求めていた私でしたが、占い師に決めてもらうものでも、お告げを待つのでもなく、自分の内側にある思いをくみ取ることが大切なのだと感じています。
自分自身を、価値あるものだと感じて今を生きればいい。
私はそう思います。
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